2026.10.09
ESG対応は、本当に「コスト」なのか
2026.10.09
はじめに サステナビリティ担当者の方から、「うちの会社に、ESGは本当に必要なのか」と社内で問われて困っている、という話を聞くことがあります。経営会議で予算を説明するたびに費用対効果を問われ、事業部門に協力を求めれば本業ではないと言われ、統合報告書は毎年分厚くなるものの株価が動いた実感はない、という状況です。 この問いに対して、社会的責任だから、時代の要請だから、と答えても担当者の助けにはなりません。社内で必要とされているのは理念ではなく、経営会議のテーブルで通用する言葉だからです。本稿では、ESG対応への支出が何に効きうるのかを整理し、それを社内でどう置くかを考えます。 なお、本稿はESGへの取組みが企業価値を高めることを実証するものではありません。議論の場所を示すための、単純化した見取り図としてお読みいただければと思います。 社内で聞かれる「ESGは必要か」という問い 社内で聞こえてくる声には、業種によってはっきりした傾向があります。 製造業では、GHG削減は結局のところ設備投資であり、省エネ設備への更新も燃料転換もコストがかかる、コストは増えるが価格には転嫁できない、海外の競合が対応していない以上、真面目に取り組むほど不利になるのではないか、という形で出てきます。製造業以外では、そもそも自社の排出はほとんどない、オフィスの電気を再エネに切り替えたところで数字は動かない、開示資料や質問票への回答に何日もかけているが開示のための開示になっているのではないか、という逆の形をとります。 これらは感情的な反発ではなく、今期の損益に責任を負う立場からすれば、まっとうな問いであるといえます。ESG対応の多くは支出が先に立ち、効果は測りにくく、時間軸も長いため、費用対効果が見えないという指摘は、感覚としては正しいところがあります。 一見すると正反対の不満ですが、構図は共通しています。どちらも、ESG対応を今期の損益だけで評価している点です。今期いくら出ていくのか、それに見合う売上はあるのか。売上に直結するESG施策を持っている会社は多いとはいえず、この評価軸の上では、ESG担当者は苦しい立場に置かれることになります。 なお、排出量が少ない会社は「ESGが関係ない会社」ではなく、「Eの比重が相対的に小さい会社」と考えるほうが実態に近いといえます。ガバナンスの実効性、人材の獲得と定着、研究開発への投資判断などは、製造設備を持たない企業にも存在するためです。ただし、Eの比重が小さいことと、Eを見なくてよいことは別です。自社の直接排出が少なくても、上流の排出や調達先の環境リスクが事業継続に影響する場合があります。本稿では以下、業種を分けずに議論を進めます。 問いそのものが間違っているというよりも、議論している場所が一つしかないのではないか。本稿の出発点はここにあります。 その支出は、どこに、いつ効くのか 社内でESG対応が否定される場面で問われているのは、たいてい一つのことです。この施策で今期の売上や利益がいくら増えるのか。環境規制への対応が今期の営業利益を増やすとは多くの場合考えにくく、この問いに正面から答えるのは困難です。 ただし、支出が効きうる先は今期の損益だけではありません。手がかりになるのは、開示基準がリスクと機会の範囲をどう画定しているかです。サステナビリティ基準委員会(SSBJ)の適用基準には、「企業の見通しに影響を与えると合理的に見込み得るサステナビリティ関連のリスク及び機会」という用語の定義が置かれています(第4項(6))。短期、中期又は長期にわたり、企業のキャッシュ・フロー、当該企業のファイナンスへのアクセス又は資本コストに影響を与えると合理的に見込み得るもの、という定義です。 注意が必要なのは、これが開示の対象範囲を定めるための定義であって、ESG施策がこの三つに効くと述べたものではないという点です。ただ、企業の見通しに影響しうるものを拾い上げる際の物差しとして、この三つが置かれていることは確かです。本稿では、この三つの区分を、支出の効き先を整理するための枠として用います。 この三つは、性質が異なります。キャッシュ・フローは、将来の現金の出入りです。炭素価格が導入されれば燃料の支払いが動きますし、顧客の要求に適合できなければ受注が動きます。ファイナンスへのアクセスは、資金調達の可否と条件です。資本コストは、投資家がその会社に対して要求するリターンで、これについては次章で扱います。 押さえておきたいのは、この定義が三つを並列に置いていることです。企業の財務への効き方は一通りではありません。そして、どの時期に表れるかは、施策の内容や市場の反応によって異なります。三つのあいだで順序が決まっているわけでもありません。 ここから、本稿が提案する見方は次のものです。今期の損益では費用に見える支出も、この三つのどこかに、いずれかの時間軸で効く可能性がある。どこに、いつ効くのかを示せれば、社内の議論に乗る余地が生まれます。逆に、それを示さないまま必要性だけを説けば、今期の損益という一つの軸で評価されるほかありません。 これは証明された命題ではなく、議論をどこで行うかについての提案です。実際にどの経路へどれだけ効くのかは、施策ごとに検討するほかありません。 資本コストという経路と、その限界 資本コストとは、投資家がその会社に対して要求するリターンのことです。投資家がこの会社は不確実性が高いと判断すれば、より高いリターンを要求します。要求リターンが高いということは、同じだけ将来の利益を生む会社であっても、投資家から見た現在の価値は低くなるということです。逆に言えば、投資家から見た不確実性が小さい会社では、要求リターンも低くなりえます。 制度の側の後押しについて触れておきます。東京証券取引所は2023年3月、プライム市場およびスタンダード市場の全上場会社に対して、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請しました。自社の資本コストや資本収益性を的確に把握し、取締役会で現状を分析・評価したうえで、改善に向けた計画を策定・開示することを求めるものです。規則上の義務付けではありませんが、東証によれば2026年3月末時点で、プライム市場の93%、スタンダード市場の53%で開示が行われています。 ここで正確に押さえておく必要があるのは、この要請が資本コスト全般についてのものであり、ESGについて述べたものではないという点です。東証がESGを求めていると読むのは行き過ぎとなります。 そして、ここから先が難しいところです。気候変動に伴う規制強化、炭素価格の導入、サプライチェーン上の人権リスク、水資源の制約といった要因は、いずれも将来のキャッシュ・フローを毀損しうるものであり、手を打っている企業と打っていない企業を投資家が同じように評価するとは考えにくいといえます。しかし、投資家は一般に多数の銘柄に分散投資しており、ある一社に固有の不確実性は、ポートフォリオ全体で見れば他の銘柄の動きと相殺され、薄まっていきます。したがって、自社の不確実性が減ったことが、そのまま投資家の要求リターンの低下を意味するとは限りません。この点は専門家のあいだでも長く議論が続いており、決着していません。 そのため、社内で説明する際に、ESG対応で資本コストが下がると言い切ることは避けたほうがよいと考えます。財務部門は資本コストを一定の手順で算定しており、そこにESGの取組みを直接反映させる確立した方法は、現時点では存在しません。投資家の見方に影響しうる要因の一つ、という水準にとどめるのが現実的です。 影響の大きさについても、一般解はありません。ESGへの取組みと資本コストの関係については定量分析が複数公表されていますが、対象も期間も手法も異なり、ESGスコアが1上がれば資本コストが何%下がるといった普遍的な係数が確立しているわけではありません。さらに、仮にESGに積極的な企業ほど資本コストが低いという関係が観測されたとしても、それがESGの効果とは限らず、もともと収益基盤が安定していて余裕があるからESGに投資できている、という逆の説明も成り立ちます。 整理すると、資本コストは、制度の側からは最も強く求められている一方で、三つの効き先のなかでは結びつきが最も確かめにくい、という位置にあります。社内で持ち出す入口としては通りやすく、しかし詰められたときには最も弱い、ということでもあります。 残る二つ、キャッシュ・フローとファイナンスへのアクセスについては、事情が違います。炭素価格が導入されたときに自社の燃料の支払いがどう動くか、顧客の要求に適合できなかった場合に受注がどうなるかは、前提を置けば自社で試算できる範囲にあります。資金調達の条件についても、金融機関との実際のやりとりがあります。確実とはいえないにせよ、資本コストよりは手元で確かめやすい経路です。 経済産業省が2022年8月に公表した「価値協創ガイダンス2.0」は、企業が、リスクと機会の両面から社会のサステナビリティを経営・事業活動へ織り込むことを迫られている、と述べています。外部環境の変化に係るリスクに対応するだけでなく、中長期的な価値向上に向けた事業機会の探索を行うことによって、という趣旨です。この文書も、ESG対応をすれば資本コストが下がると保証しているわけではありません。述べているのは、サステナビリティが企業の長期的な稼ぐ力に関わる問題になったという認識です。 それでも注目に値するのは、ここでリスクが先に置かれている点です。ESGを新しい収益機会としてだけ語ると、多くの会社では話が続きません。将来の不確実性への対応として語るのであれば、先に挙げた三つの効き先のいずれかに結びつけて話を進めることができます。 社内でESG投資は費用だと言われたとき、その支出が費用として計上されるのであれば、今期の利益は減ります。資産として計上される場合は、取得の時点では費用にならず、その後の減価償却などを通じて費用になります。いずれにしても、今期の損益に引き寄せた見方であることは変わりません。その支出が将来どこに働くのかを示せるかどうかは別の問題で、そこが分かれ目になると考えます。 ESGは、対話の議題になっているか ここまでの議論には、実務上の但し書きが要ります。投資家との対話の場でESGの話は出てこない、という声を、企業のご担当者から聞くことは少なくありません。決算の内容、資本効率、成長戦略、株主還元が中心で、サステナビリティは別枠の説明会に回されるか、そもそも議題に上がらない、という状況です。統合報告書を厚くしても株価が動いた実感がないという感覚の背景には、伝え方が十分でないという以前に、その話が対話の議題に入っていないという事情があると考えられます。 制度の側では、対話は前提とされています。東証の要請は、計画を策定・開示したあとも投資者との対話の中で取組みをアップデートしていくことを求めていますし、経済産業省の「伊藤レポート3.0(SX版伊藤レポート)」も、投資家等との建設的な対話を通じた変革の加速を重視しています。それでも、その対話の議題にESGが入っているとは限りません。ESGへの取組みと資本コストを結びつける確立した方法がない以上、企業側にも投資家側にも、それを議題として扱う共通の手順がないためだと考えられます。 ここから二つの読み方ができます。一つはESGが企業価値に関係がないという読み方、もう一つは、効果の大きさを測る方法がまだ整っていないという読み方です。議題に上がっていないという事実自体は、そのどちらとも両立します。本稿が採るのは後者ですが、これは実証された命題ではなく、提示する一つの見方にすぎません。 そう考えると、担当者が当面置くべき目標も変わってきます。対話の議題にESGを載せること自体を目標にすると、多くの場合、成果は出ません。現実的なのは、聞かれたときに答えられる状態にしておくことと、すでに議題になっている項目の側から接続することの二つです。設備投資計画、操業継続上のリスク、調達先の見直しといった項目は、もともと対話の対象になりやすく、サステナビリティの取組みの多くはそこに接続できます。 いずれの場合も、どの経路に、どのくらいの時間軸で、どの程度効くのかが特定されていれば、話は接続しやすくなります。排出量を何年までに何%削減するという記述だけでは、受け取った側から次に問えることがありません。その削減が自社のどの支払いに効くのか、どこまでが手当て済みで、どこから先が未定なのかまで書かれていれば、話は続きます。 まとめ 今回は、ESG対応をどこで評価するかという観点から整理しました。今期の損益だけで見れば、ESG対応の多くは費用です。しかし、企業の見通しに影響しうるものとして開示基準が挙げているのは、キャッシュ・フロー、ファイナンスへのアクセス、資本コストの三つで、時間軸も短期から長期にわたります。本稿は、この区分を支出の効き先を整理するために用いました。基準がESG施策の効果を保証しているわけではありませんが、社内で話をするときの共通の言葉にはなります。 この見方が当面いちばん役に立つのは、投資家との対話の場ではなく、社内の議論の場であると考えます。効き先と時間軸を具体的に示すことで、今期の売上がいくら増えるのかという問いだけで評価される状態から抜け出せます。東証の要請によって資本コストが全上場会社の経営課題として設定されていることも、社内では使える材料です。 一方で、社内の説明に「投資家が求めているから」を持ち出すことには慎重であったほうがよいと考えます。ESGをやれば企業価値が上がると言い切る資料と同じで、社内で一度は歓迎されても、実際の対話の内容と食い違えば、詰められた段階で崩れます。本稿が断定を避けてきたのもそのためで、曖昧さを残したまま議論の場に乗せるほうが、長い目で見れば担当者の立場を守ることになると考えます。 ESG対応をコストとしてのみ評価することは、その支出が効きうる先の一部しか見ていないことになります。ほかの効き先について語る余地はありますが、その語り方が確立しているわけではありません。自社の事情に即して、どこにどう効くのかを組み立てていくところに、担当者の仕事があるのだと思います。 参考資料 東京証券取引所/日本取引所グループ ・「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願いについて」(2023年3月31日) https://www.jpx.co.jp/news/1020/20230331-01.html ・「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応(プライム・スタンダード市場)」(フォローアップ情報) https://www.jpx.co.jp/equities/follow-up/02.html ・「『資本コストや株価を意識した経営』に関する要請のアップデートについて」(2026年4月28日) https://www.jpx.co.jp/news/1020/20260428-01.html サステナビリティ基準委員会(SSBJ) ・サステナビリティ開示ユニバーサル基準「サステナビリティ開示基準の適用」(2025年3月5日公表、2026年3月13日改正)第4項(6) https://www.ssb-j.jp/jp/wp-content/uploads/sites/6/20260313_01.pdf 経済産業省 ・「伊藤レポート3.0(SX版伊藤レポート)」(SX研究会報告書、2022年8月31日) https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kigyoukaikei/itoreport3.0_r.pdf ・「価値協創のための統合的開示・対話ガイダンス2.0(価値協創ガイダンス2.0)」(2022年8月) https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kigyoukaikei/Guidance2.0.pdf ・価値協創ガイダンス 解説ページ https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kigyoukaikei/ESGguidance.html (執筆者:久保(隆)) 【ウェイストボックスの関連サービス】 ・組織の排出量把握と情報開示支援|株式会社ウェイストボックス ・アドバイザリーサービス|株式会社ウェイストボックス
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