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2026年7月

はじめてのSSBJ気候変動開示に今から必要な準備とは

第三者保証・開示から逆算した5つのステップと、つまずきがちな「あるある」への対応策 SSBJ(サステナビリティ基準委員会)が2025年3月に公表したサステナビリティ開示基準が、2026年4月1日以後に開始する事業年度から、企業の平均時価総額[1]順に段階適用されていくことになります。具体的には、時価総額3兆円以上は2027年3月期、1兆円以上は2028年3月期の適用が義務化されています[2]。そして、時価総額5,000億円以上1兆円未満の企業は2029年3月期から、有価証券報告書での開示が義務付けられる見込みです(いずれも3月期決算企業の場合)。弊社の支援する企業様からも対応に関するお話をお聞きする機会も増えてきましたし、時価総額で義務対象外の企業様であっても、競合他社や投資家要請等の状況を踏まえ、前倒しで準備を始めたいというお声も聞いています。さらに、開示初年度の翌期からは第三者保証も段階導入され、当初はScope1・2排出量、ガバナンス、リスク管理を対象とした「限定的保証」から始まるとされています。 本コラムでは、初めて取り組む企業を念頭に、開示タイミングから逆算した実施時期の目安と実施ステップを示し、そのうえで準備の現場で起きがちな「あるある」と対応策、そして私たちがご支援できることを整理します。 全体像―開示するタイミングから逆算する ここでは、仮に時価総額5000億円規模の企業の場合を例に考えます。開示初年度(2029年3月期)の有価証券報告書は期末後3か月以内、つまり2029年6月頃に提出します。そして、その翌期(2030年3月期)から限定的保証の義務化の対象となります。保証義務化は準備負荷も踏まえて開示義務化から1年遅れとはなっていますが、CDPをはじめScope算定数値への保証が市場から求められていることから、SSBJへの対応と並行して保証対応準備を始められている企業様も多くいます。 [1] 平均時価総額とは、有報等を提出しようとする日の属する事業年度の直前事業年度の末日からさかのぼって5か年の時価総額の平均値により判定する。例えば、2027年3月期の適用の有無の判断に用いる平均時価総額は、2022年3月期~2026年3月期の各末日の時価総額の平均値で算定する。 (出典:第9回 金融審議会 サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ) [2] 「企業内容等の開示に関する内閣府令及び特定有価証券の内容等の開示に関する内閣府令の一部を改正する内閣府令」等の公布及びパブリックコメントの結果について:金融庁 以下の早見表は、開示タイミングから逆算した「実施時期の目安」と「実施ステップ」を並べたものです。自社の決算期に合わせて読み替えてご活用ください。 ■2029年3月期より適用開始(時価総額5000億円以上の企業)の場合の対応スケジュール(イメージ) 実施時期 の目安 実施ステップ 開示内容の準備 第三者保証対応 -2年度 (~2026年10月) Scope1,2算定システムの導入検討 -2年度 (〜2027年3月) ギャップ分析と全体計画 現行開示とSSBJ基準の差分を棚卸しし、不足するデータや原稿を特定。対応の優先度と役割分担を決定する。 ― -1年度 (2027年4月~2028年3月) データ収集体制の構築 次年度ガバナンス・リスク管理体制について整備・文書化する。Scope1,2をはじめとしたサステナビリティ開示数値の作成に迅速に着手できるように、効率的なデータ収集体制を構築する。 保証機関の選定、保証対応体制の構築 保証機関の選定は、財務監査との兼ね合いも考慮する。自社で保証対象データが出揃う時期に合わせた保証スケジュールを立てる。 保証用数値の準備、保証対応(プレ保証向け) 組織範囲や算定対象の決定、根拠資料に関して、保証機関によってGHGプロトコルの解釈や指摘の傾向が異なることもある。必要に応じてプレ保証を行う。 期中 (2028年10月~) 開示内容の精査 ギャップ分析に基づき、定性的な開示内容。決算後に反映する箇所を除く箇所について、開示方針を決定する。 保証用数値の準備、保証対応(本番保証向け) サステナビリティ開示数値を保証。指摘を踏まえてデータを修正し、最終化する あらかじめ必要な根拠資料や必須要件を握っておく。データ収集状況によっては、期中監査も検討する。 期末前後 (2029年3月期末~) 開示直前〜 (2029年4〜5月) 開示への落とし込み 有価証券報告書をはじめとする開示用フォーマットへ内容を統合し、財務開示との整合(コネクティビティ)を確保。   ※時期は3月期決算・2029年3月期を開示初年度とした場合の目安です。開示成熟度や体制により、各ステップの精緻度を段階的に高める進め方も現実的です。   ステップ別―準備でつまずく「あるある」と対応策 Scope1,2算定システムの導入検討 Scope1,2数値について、データ収集や保証時の改ざん防止の観点でシステムでの管理が効率的になる可能性があります。 あるある システムを使って算定を効率化したいが、そもそもシステムを導入するコストメリットはあるのか、システムに求める要件はなにか判断することが難しい 対応策 Scope1,2については、拠点数が多ければ多いほど、システムによりデータ収集が効率化できる余地が多くなります。なお、選定時に注意する点としては、保証を見据え、エネルギーデータや再エネ証書償却量などの管理方法を確認しましょう。CDPの設問に対応した換算が可能であることも魅力です。なお、Scope3については表計算ソフトでもコストや管理上のメリットは十分あるため、導入は慎重に検討するようにしましょう。 弊社で可能なご支援 Scope算定システム導入支援 ギャップ分析と全体計画 現行の開示内容とSSBJ基準を突き合わせ、両者の差分を棚卸します。その上で、不足しているデータや未着手の原稿を具体的に特定します。洗い出した課題については、対応の優先度を整理するとともに、社内での役割分担を明確に定めていきます。 あるある SSBJ要件が求める要件を具体的な開示に落とし込む際のイメージがつかず、用意すべき開示データの洗い出しに難渋している 連結全体のうち、Scope3算定の対象範囲から漏れている事業部や子会社がある どこまで詳細に開示を準備するべきかの判断と優先順位がついていない 要件のうち、社内対応が間に合わない項目がある 対応策 まず現行開示とSSBJ基準のギャップを棚卸しし、新たに対応が必要な項目とすでにあるデータから対応可能な項目を洗い出し、優先順位をつけていきます。要件のうち、社内方針などすぐの対応が難しい項目については、課題事項として整理しておきます。 私たちの支援 Scope算定拡大支援、TCFD/SSBJ要件ギャップ分析支援 データ収集体制の構築、保証機関の選定、保証対応体制の構築 次年度に向けて、ガバナンス体制およびリスク管理体制の整備と文書化を進めます。あわせて、Scope1,2,3をはじめとするサステナビリティ開示数値の作成に速やかに着手できるよう、関係部門と連携した効率的なデータ収集の仕組みを構築します。保証機関の選定にあたっては、財務監査との兼ね合いやスケジュールの整合性も考慮し、自社で保証対象となるデータが出揃う時期を見極めたうえで、無理のない保証スケジュールを立てましょう。 あるある 決算から有報開示までの短期間で、連結全体での排出量算定用のデータ収集から算定までを行う体制構築が難しい SSBJに基づく開示にあたり、非財務監査を財務監査と同じ機関にする社内方針となり、これまで排出量保証を依頼していた機関と方針が異なる可能性がある。 対応策 決算での数値確定後からの算定開始では時間的に間に合わない場合、たとえば期中でハードクローズを行い、監査自体を前半後半に分けるという方法があります。また、開示に収集が間に合わないデータについては見積もりで対応し、開示は速報値を用いて行い、データが出揃った後に確報値を公表するという手段もあります。いずれにしても、保証機関によって指摘事項や対応方針が異なるケースがあるため、社内のデータ収集・開示方針を早い段階で伝え、懸念事項を解消しておくことが重要です。 私たちの支援 第三者保証対応伴走支援、SSBJに向けたScope算定ロジック改善検討支援 開示内容の精査 ギャップ分析の結果を踏まえ、定性的な開示内容について検討します。決算後に反映する箇所を除いた部分を対象に、開示の方針を確定します。 あるある シナリオ分析は毎年実施が必要か、気候変動リスクに対する財務影響額の数値については開示が必要かなど、記述情報についてどこまでを記載すれば要件を満たすことになるのかが不明 対応策 シナリオ分析についてですが、更新頻度は「少なくとも企業の戦略計画サイクルに合わせて」とされています。一方、気候レジリエンス(自社の戦略・ビジネスモデルが気候変動下でも持続可能か)についての評価は、年次で更新が求められています。したがって、一度行ったシナリオ分析結果については数年スパンで参照可能と解釈できる一方、それに対する企業の対応については毎年最新の状況を開示する必要があると解釈できます。(気候基準第30-39項) 次に、財務影響額については、可能な限り定量的な情報を示すことが求められています。定量的開示が免除されるのは、①影響をリスクごとに区分して測定できない場合 や ②見積もりの不確実性が極めて高い場合です。その場合、「資産や事業活動の規模(大・中・小など)」など、影響の規模感を相対的に説明することでも基準を満たすとされています。そのような免除を適用した場合でも、代わりに定性的な説明を十分行い、定量開示が困難な理由を開示する必要があります。(気候基準第25-27項、BC185,186)このように、気候要件や関連ガイダンスとの参照を行うことで、開示内容の精査を行っていきます。 私たちの支援 シナリオ分析支援、SSBJ開示フォーマットに沿った開示案作成支援 保証用数値の準備、保証対応(プレ保証、保証本番) 保証に向けて、対象となる数値や根拠資料を準備します。組織範囲や算定対象の決定、根拠資料の整え方については、保証機関によってGHGプロトコルの解釈や指摘の傾向が異なる場合があるため、必要に応じてプレ保証を実施し、本番前に論点を洗い出しておきましょう。 あるある 保証機関による指摘で、財務支配力基準を採用している場合、リース資産を運用する際の燃料・電気をScope1,2にひとくくりにすることはできないと言われた。 Scope2に使用している電力排出係数について、環境省の算定・公表・報告制度の電気事業者別係数を使用していたが、送配電によるロス分による排出を除くよう指摘を受けた。 (Scope排出量に限らず)シナリオ分析結果、気候移行計画、クレジット調達方針といった開示に内容に対して、SSBJ要件との整合性に関する指摘を受けた 対応策 企業による算定は、業界慣習的に行われていることも多く、監査によってはじめてGHGプロトコルとの厳密な整合を認識することも少なくありません。一方で、GHGプロトコルが要求している以上の対応を求められるケースもあり、その場合は担当者にとって過剰な作業負担となってしまう可能性があります。 あるある1点目の、自社で借りているリース資産の算定カテゴリについては、財務支配力基準を採用するか、経営支配力基準を採用するかで対応が異なります。買い上げを前提としていない一時的なリース資産は、フィナンシャルリースではなくオペレーティングリースに分類されるケースが多いです。その場合、フィナンシャルリースのみを組織の責任範囲とする財務支配力基準下ではScope1,2の算定対象ではなく、Scope3カテゴリ8(上流リース)に分類されます。(出典:GHG Protocol Corporate Standard(改訂版)Appendix A.  Accounting for Emissions  from Leased Assets)したがって、既存の算定方法を正とする場合、採用基準を財務支配力基準から経営支配力基準へと変更することが、最短の対応策となることが多いです。 一方、あるある2点目の送配電ロスによる排出の計上については、解釈が分かれる余地があります。そもそも、送配電ロスというのは、電力が発電所から需要先に届くまでの送電線による抵抗によって、実際の発電量よりも何%か減損する実態を指します。したがって、発電所を出た時点(発電端)の排出係数よりも、需要先(受電端)の排出係数の方が、分母となる電力量が小さくなるため、ロス率分高くなります。GHGプロトコルでは、この送配電ロスによる排出分について、別途Scope3カテゴリ3の方で計上することとしています。(出典:Technical Guidance for Calculating Scope 3 Emissions — Category 3 )一方、日本のScope2算定で使用されている環境省 電気事業者別排出係数は、受電端(=送配電ロスを含んだ)係数のため、送配電ロス分は最初からScope2の方に含まれる処理になります。この相違は、環境省も認識済みです。(環境省 サプライチェーンを通じた温室効果ガス排出量算定に関する基本ガイドライン 参照)上記の指摘は、この差分を是正するために、環境省係数から送配電ロス分を切り出すべきというものです。 この対応の懸念点としては、GHGプロトコルに対応する名目で、公式な排出係数に企業独自の変更を加えることになっており、係数自体の妥当性が損なわれている可能性もあります。なにより、温対法等で一般的に使用されている係数と異なる係数で運用することにもなり、二重管理のデメリットも考えられます。このように、保証機関からの指摘は、GHGプロトコルの解釈によるものであるケースも多く、時には対応可否の判断を行うことも重要です。 また、Scope排出量に限らず、シナリオ分析や気候移行計画、クレジット調達方針などの開示内容の不備不足に対する指摘を受けるケースもあり、指摘に対応できるリソースをあらかじめ確保しておくことが重要です。 私たちの支援 第三者保証対応伴走支援、SSBJに向けたScope算定ロジック改善検討支援、シナリオ分析アップデート支援、気候移行計画作成支援、クレジット調達方針作成支援 開示への落とし込み 有価証券報告書をはじめとする各種開示フォーマットへ内容を統合します。財務開示との整合(コネクティビティ)を確保し、開示全体としての一貫性を担保することに注意します。 あるある  SSBJ気候基準の開示内容について、有価証券報告書上でどのような表現で開示をすべきかのイメージがわきづらい。 対応策 有価証券報告書上の開示フォーマットについては、サステナビリティ基準委員会が公表している、「有価証券報告書の作成要領」がまずは参考になるでしょう。ほかにも、先行開示事例を参考にできます。財務情報とのつながりや整合性が明確になるような開示を作成することが重要です。弊社でも、SSBJ開示フォーマットに対して企業独自の開示内容を落とし込んでいくような支援を進めています。 私たちの支援 SSBJ開示フォーマットに沿った開示案作成支援   最後に SSBJ気候基準の開示・保証対応は、これまでのボランタリー的な開示に比べ、より一層高度で厳密な算定・開示が求められています。私たちは、現状の状況を踏まえ、保証に耐える開示へと無理なく到達する道筋づくりをご支援します。自社でお悩みのポイントがあればお気軽にご相談ください。 ※本コラムは2026年6月時点の公表情報に基づく一般的な解説であり、個別の会計・法務判断を保証するものではありません。適用時期・保証制度は金融審議会WG等での議論段階の内容を含みます。最終的な算定・開示は、所管の監査法人・保証機関とご確認ください。 (執筆者:馬場) 【ウェイストボックスの関連サービス】 ・組織の排出量把握・情報開示支援|株式会社ウェイストボックス ・CDP質問書、TCFD・TNFD、SSBJ対応、EcoVadis回答支援|株式会社ウェイストボックス ・アドバイザリーサービス

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排出原単位は、製品とともにサプライチェーンを流れ始めた

「排出原単位」と聞くと、多くの実務担当者は、電力や燃料の使用量に掛ける係数を思い浮かべると思います。その使われ方が、いま大きく変わっています。 結論から述べます。これまで主に算定の係数として使われてきた排出原単位は、いま製品ごとの排出量データとして、取引や規制の場で直接やり取りされる単位に変わっています。当面の備えは、自社製品の排出量を業界平均ではなく自社の一次データで示せるようにしておくことです。 この変化と特に関わりが深いのは、鉄鋼・アルミなどCBAM対象財や、電池・素材をEU向けに供給している企業です。あわせて、取引先から製品のカーボンフットプリント(CFP)の提示を求められ始めた企業や、Scope3カテゴリ1(購入した製品・サービス)を業界平均から自社の一次データへ切り替えたい企業にも、直接かかわります。これらに一つでも当てはまるなら、製品別の原単位を整えることが、これからの取引や規制への対応そのものになります。  この記事でわかること 排出原単位がもつ二つの意味(算定の係数と、製品別の炭素強度) CBAM、製品CFP、Scope3カテゴリ1で、企業に何が起きつつあるか 取引や規制に向けて、企業が準備しておくべきデータ 目次 「排出原単位」には二つの顔がある 「測る・比べる」から「受け渡す」へ CBAMでは、原単位が製品とともに受け渡される 規制でも業界でも、原単位は同じ向きに動く 受け取る側でも、原単位が中心になる 「同じ向き」でも、そのまま流用はできない 当面の備えは「製品別原単位を一次データで示すこと」 まとめ 主要参考資料   「排出原単位」には二つの顔がある 排出原単位とは、排出量を何らかの「単位」で割った値ですが、ここには役割の異なる二つの数値が含まれます。 一つは排出係数(emission factor)です。活動量に掛け合わせて排出量を推計するための数値で、「排出量=活動量×排出係数」の係数にあたります。電気1kWhあたり、燃料1Lあたりといった形で与えられ、多くは業界平均値が使われます。環境省も、サプライチェーン排出量の算定方法を、取引先から排出量の提供を受ける方法(一次データ)と、自社の活動量に排出原単位を掛け合わせる方法の二つに整理しています(環境省 排出原単位データベース)。 もう一つは製品別の炭素強度(carbon intensity)です。排出量を、つくり出したものの一単位あたりに直した数値で、鋼材1トンあたり、電池容量1Whあたりといった形で、製品一単位あたりのCO₂排出量を表します。排出係数が「掛けて自社の排出量を出す入力」であるのに対し、炭素強度は「割って得られる、製品あたりの結果」です。この製品あたりの炭素強度の代表例が、ライフサイクル全体の排出量を製品単位で表したCFPです(環境省 カーボンフットプリント)。 そして、この二つは地続きです。ある鋼材メーカーが算定した「鋼材1トンあたりの排出量」は、その鋼材を買って自動車をつくるメーカーにとっては、購入した材料の排出量を計算するための「排出係数」になります。同じ数値が、売り手には製品の結果(炭素強度)として、買い手には計算の入力(排出係数)として使われるわけです。日本語ではどちらも「原単位」と呼ぶため混同しやすいのですが、この二つを分けて考えることが出発点になります(買い手側の含意は後の章で改めて述べます)。 「測る・比べる」から「受け渡す」へ この二つのうち、いま使われ方が大きく変わっているのは、製品あたりの原単位(炭素強度)です。 これまで製品の原単位(CFP)は、主に「測って、表示し、比べる」ために使われてきました。自社製品の排出量を把握して削減のポイントを見つけ、消費者や取引先に開示する、という使い方です。排出原単位を「指標」として用いる段階でした。 ところがいま、製品の排出原単位は、その指標の段階を超えて、サプライチェーンを川上から川下へと受け渡され、規制や価格づけの前提として使われ始めています。脱炭素の実務が「測る」から「比べる・選ぶ・課す」段階へ移り、業界平均では足りず、製品ごと・自社の一次データに基づく原単位が、取引や規制の現場で直接使われるようになったためです。その変化が最もはっきり表れているのが、次に見るCBAMです。   CBAMでは、原単位が製品とともに受け渡される 排出原単位が申告と費用負担の根拠そのものになる最前線が、EUのCBAM(炭素国境調整メカニズム)です。2026年1月に本格適用が始まり、鉄鋼・アルミニウム・セメント・肥料・電力・水素について、製品トンあたりの排出量の申告を求めます(欧州委員会 Carbon Border Adjustment Mechanism、基礎は規則(EU)2023/956)。申告義務を直接負うのはEU側の輸入者ですが、排出量データは生産者が握っているため、日本など域外の製造者も、輸入者を通じてデータ提供を求められる場面が増えていきます(ジェトロ「EUのCBAMに備える」)。 ここで求める排出量は、工場単位ではなく製品の単位生産量あたりです。鉄鋼を例にとれば、その製造には銑鉄など前段でつくられる材料が使われます。こうした前段の材料はCBAMで前駆体(precursor)と呼ばれ、複雑な製品の排出量は、前駆体に紐づく排出原単位を受け継いだうえで、自社工程の排出を加えて算定します。このように原単位は、川上から前駆体とともに引き継がれながら、製品とともに流れていきます。実測データがなければデフォルト値で算定され、申告にとどまらず証書の購入・償却という金銭的な負担も生じます。2026年の輸入分は、2027年9月30日が初回申告と証書償却の期限です(算定方法・デフォルト値・期限の詳細は欧州委員会 CBAM Legislation and Guidance)。なお、CBAMが求める排出量はライフサイクル全体を対象とする一般的なCFPより範囲が狭く、CFPの算定をそのまま流用すると過剰報告になりかねない点には注意が必要です(前掲ジェトロ)。 規制でも業界でも、原単位は同じ向きに動く 製品に原単位を載せて川下へ渡すという使い方は、強制力をもつCBAMにとどまらず、ほかの規制にも、業界主導の基盤にも広がっています。 規制の側:電池規則とデジタル製品パスポート 規制の側では、EUの電池規則が、電気自動車用電池などについて、電池モデル・製造拠点ごとのカーボンフットプリント宣言を段階的に義務づけ、電池パスポートが製品単位の炭素情報を川下へ受け渡す基盤になります(規則(EU)2023/1542、算定規則は欧州委員会JRC/EPLCA)。これはより広い枠組みの先行例でもあります。EUのエコデザイン規則(ESPR)は、製品の環境性能や炭素フットプリントを、製品とともに移動するデジタル製品パスポート(DPP)に載せる仕組みを導入しました(規則(EU)2024/1781)。対象は委任法令で順次広げる設計で、優先製品群とされた鉄鋼・アルミニウムはCBAMの対象財とも重なり、同じ製品が、国境でも製品情報の開示でも炭素データを問われることになります(欧州委員会 エコデザイン作業計画2025–2030)。 業界の側:EPDと共通データ基盤 業界の側でも、製品の環境データを取引先間で受け渡す基盤が整っています。代表的なのがEPD(環境製品宣言)で、製品ごとの排出量などを共通ルール(PCR)に沿って算定し、第三者検証を経て開示する宣言です(ISO 14025のタイプIII環境宣言。国内ではSuMPO EPDが運用されています)。これが原単位の受け渡しに直結するのが建築です。建物の排出量は、運用時のエネルギーに加え、建材に由来する体化炭素(エンボディドカーボン)の比重が大きく、建材ごとのEPDに記された原単位を建物全体で足し合わせて評価します。国内でも、運用段階は建築物省エネ法によって2025年4月から全新築で省エネ基準への適合が義務化され(国土交通省 建築物省エネ法)、建材側の体化炭素も、国土交通省が2028年度を目途に建築物のライフサイクルカーボン(LCA)の算定・評価を促す制度づくりを進めています(国土交通省 建築物LCA制度検討会)。 製造業でも、同じ受け渡しを共通形式で行う基盤が立ち上がっています。WBCSDのPACT(Partnership for Carbon Transparency)は、製品単位のCFPを一次データで取引先間でやり取りする方法論を整備し(WBCSD PACT Methodology Version 3)、自動車業界のCatena-Xも、製品の炭素データを共通ルールと標準形式で受け渡せるよう整えています(Catena-X Product Carbon Footprint Rulebook)。 その先の構想:賛否が割れる製品単位の炭素会計 さらにこの流れの先には、製品単位の炭素会計を世界規模で標準化しようとする構想もあります。2025年10月に発足した業界連合Carbon Measuresは、製品に紐づく炭素情報を会計の台帳のように扱い、二重計上を避けながら川下へ受け渡す枠組みを掲げています(Carbon Measures 発足発表、Trellis)。ただし、強制力をもつ規制とは異なり発足して間もない任意の取り組みで、責任を川下や最終消費者へ移し、Scope3を含む排出量全体の開示から注意を逸らすおそれがあるとの批判もあります(NewClimate Institute)。 立場も強制力も異なりますが、製品に紐づく排出原単位を川上から川下へ渡すという構造は共通しています。本稿が重視するのは個々の枠組みの是非ではなく、これらが同じ向きに進んでいる点です。 受け取る側でも、原単位が中心になる 視点を、原単位を渡す側から受け取る側へ移すと、もう一つの変化が見えます。買い手にとって、取引先から渡される製品CFPは、自社のScope3カテゴリ1(購入した製品・サービス)を計算するための一次データになります。冒頭で触れたとおり、ある製品の炭素強度は、それを買う側にとっては排出係数です。これまでカテゴリ1は業界平均の係数で埋めることが多かったのですが、それを取引先の実データに置き換える動きが進んでいます。 ただし、取引先のCFPですべてを置き換えられるわけではありません。製品CFPが得られない品目も多く、カテゴリ1は一次データと業界平均などの二次データの組み合わせで埋めるのが実情です。そのうえ、受け取ったCFPも、算定範囲や配分の仕方、検証の有無が供給者ごとに揃っていないと、自社の総量にそのまま整合させるのが難しい場合があります。 この足並みのばらつきを抑え、製品の原単位を受け渡せる形に揃えることこそ、PACTやCatena-Xのような算定・伝達のルールの役割です。送り出す側のこうした基盤と、受け取る側のカテゴリ1の一次データ化は、同じ受け渡しを裏と表から見たものといえます。もっとも、これらは任意の基盤で、検証の水準や、CBAM・電池規則など他制度との物差しの違いまでは揃えません。 「同じ向き」でも、そのまま流用はできない ここまで「同じ向き」と述べてきましたが、実務では、ある制度の数値を別の制度へそのまま流用したり足し合わせたりはできません。CBAMの排出量は原則として製造ゲートまでを対象とし、間接排出を算入するかどうかは製品によって異なります。一方、ISO 14067に基づくCFPは、調達から廃棄までライフサイクル全体を取り得ます。電池規則は「生涯提供エネルギー1kWhあたり」という独自の機能単位を使い、CBAMの「製品トンあたり」やPACTの製品単位とは比較の土台が違います。対象ガスや検証の水準もそろっていません。 つまり、製品原単位は同じ向きに動いてはいるものの、境界・単位・対象ガス・検証がまだ統一されておらず、共通の物差しは確立していません。だからこそ、自社の製品がどの制度向けに、どの境界・どの単位で原単位を示すべきかを区別して準備しておくことが要点になります。 当面の備えは「製品別原単位を一次データで示すこと」 この変化が新たに求めるのは、主に製品の原単位の側の備えです。自社の排出量を計算するための排出係数としての使い方は引き続き必要で、ここが大きく変わるわけではありません。新しい課題は、製品単位の原単位を、業界平均ではなく自社の一次データで、前駆体材料の分まで引き継いで示せるかどうかに集中しつつあります。 まず取り組めるのは、自社が使っている「排出原単位」を二つに分けて棚卸しすることです。自社の排出量を計算するための排出係数と、取引先へ製品ごとに説明するための原単位(CFP等)を区別し、後者については、対象となる製品、製造拠点、主要な原材料や前駆体材料、一次データの有無を整理します。業界平均の係数で代用している箇所を洗い出すと、どこから手をつけるべきかが見えてきます。 そのうえで、提出先ごとの段取りを押さえます。CBAMに該当する製品があれば、2026年の輸入分は2027年9月30日が初回申告と証書償却の期限ですので、ここに間に合うようEU輸入者とデータ受け渡しの段取りを確認します。自社の一次データを示せれば実態に近い値で申告でき、負担額の抑制にもつながります。取引先からCFPを求められる場合は、PACTやCatena-Xが想定するデータ形式と第三者検証の要否を確認します。Scope3カテゴリ1で供給者データへ切り替える際は、GHGプロトコルの一次データの要件に沿わせ、これまで用いてきた排出原単位データベース(環境省データベースやIDEA)からの移行を段階的に進めるのが現実的です。 業界平均の係数ではなく、自社製品に紐づく一次データを示せるかどうかが、これからの取引や規制対応の分かれ目になります。求められてから慌てるのではなく、対象になりやすい製品から準備しておくことが、現実的な備えといえます。 まとめ 排出原単位には、自社の排出量を計算するための係数(排出係数)と、製品を比べるための物差し(製品の炭素強度)という二つの顔が古くからあります。いま変わっているのは後者で、測って比べるための指標から、サプライチェーンを伝って受け渡され、取引や規制、価格づけの前提となるデータへと性格を変えています。送り出す側にとっては取引や規制で示すべき数値として、受け取る側にとっては自社のScope3カテゴリ1を支える一次データとして、同じ製品の原単位が使われ始めています。ただし境界も単位もまだ統一されておらず、制度をまたいでそのまま流用はできません。だからこそ、自社製品の原単位を、業界平均ではなく自社の一次データで、提出先に応じて示せるようにしておくことが、これからの数年の備えの中心になります。 主要参考資料 Regulation (EU) 2023/956(CBAM基本規則、EUR-Lex)https://eur-lex.europa.eu/eli/reg/2023/956/oj/eng Regulation (EU) 2023/1542(EU電池規則、EUR-Lex)https://eur-lex.europa.eu/eli/reg/2023/1542/oj/eng Regulation (EU) 2024/1781(エコデザイン規則ESPR、EUR-Lex)https://eur-lex.europa.eu/eli/reg/2024/1781/oj/eng 建築物のライフサイクルカーボンの算定・評価等を促進する制度に関する検討会(国土交通省)https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/build/jutakukentiku_house_tk4_000302.html PACT Methodology Version 3(WBCSD)https://www.wbcsd.org/resources/pact-methodology-version-3/ Why scope 3 emissions accounting matters and why industry-led Carbon Measures distracts from it(NewClimate Institute)https://newclimate.org/news/why-scope-3-emissions-accounting-matters-and-why-carbon-measures-distracts-from-it   (執筆者:木塚) 本稿に関連するテーマとして、製品別原単位(CFP)の算定、Scope3カテゴリ1の一次データ化、サプライヤーからのデータ収集、CBAM対応などがあります。関連するサービスは以下のとおりです。 【ウェイストボックスの関連サービス ・LCA、CFP算定、カーボン・オフセット事業 ・Scope3算定・排出量把握 ・サプライヤーエンゲージメント・排出削減 ・アドバイザリーサービス

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